まずは、病気は気づきのためではない(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)を読んでね。
まずは、1Aについて。
(1A・病気によって気づかせるのは、暴力で教育していくことよりも質がワルイ)

スピリチュアル界隈では、気づきを与えるのは高次領域の存在だと言われて(?)います。
彼らが存在するのであれば、愛に満ちた存在なのは確かでしょう。
ならば、病気という暴力により人間を指導しようとするのか。

現実次元において、体罰を「乱発」する教師がいれば、人間性が疑われます。
病気は、溢れ却っています。
それが、高次領域の気づきによって引き起こされているならば、彼らの意識性に大きな欠落があることになります。
(かなりの極論ね。それと気づきの面も多少はあるんよ。)

この理解に、「いや、苦しみが魂を成長させるのだから」と反論が返ってくることでしょう。
しかし、大半の人はそれにより歪曲してしまっています。
「来世の成長の糧になるのでは。?」
現状の未熟さを、過去世の難苦のせいにしています。
糧になっていません。
(何世にも渡った超長期においては、財産になるかもだけど。ちなみに過去生って存在しないかもよ。それはまた今度ね)

2Bについて。
(2B・現実的な正しい健康法を徹底して勉強してきた、という自負心はあるのか)

僕は、発達障がいだけではなく、健康相談も引き受けています。

僕の元を訪れる、長らく罹患していた人たちに限って、

・病気の要因に意識、カルマ、気づき、学び論を用いる
・健康知識に極めて乏しい
・しっかりと学んではいるが、間違いだらけである

という共通点が見受けられる。

現在に至る渋難に共感はすれど、彼らの論に耳を貸すことはしません。
現実的、具体的な改善方法のみを伝えます。
そこに、哲学的な理解は介在しません。

続く。