まずは、病気は気づきのためではない(1)(2)を読んでね。
現在のスピリチュアルで展開されている理解に、人生を改善させる力はない。
それどころか、悪化させてしまう可能性が高い。
とても近い将来、スピリチュアルの住人のなかでも特に感性の優れた人々は、気づくことになる。
そして、既存のスピリチュアル理解は急速に瓦解し、新しいそれらが台頭する。
ようやく、スピリチュアルは役に立つ次元へと昇華する。
この「分野」は、未だ黎明すら迎えていない。(ヨシトラダムス)

以下、続きの始まり。

しかし、ちょっとした望ましい意味付けでは、心を現状に納得させることはできない。

では、どうすればいいのでしょうか。

スピリチュアル界隈で最も価値が見出されている理解を持ち込む、もしくは直結させればいいのです。

そこで、魂の成長を促す唯一(?)の因子である「気づき」が、適役となります。

その意味付けにより、とりあえず単なる苦しみでしかなかった病が、魂の訓練へと変わります。

非生産的な現象に、生産性が見出されます。

おまけに、自尊心を効率的に守ることもできます。

問題を解決するには、場合によっては自己完結的に原因を明確にする必要があります。(事態を解決するためには、あえて過去を振り返らない未来志向を活用し「なければならない」こともある)

しかし、人間にとってこの作業ほど辛いものはありません。

1・自分に原因を求めるというは、自尊心が損傷してしまい精神的な生存の危機に見舞われてしまう
2・原因を明確にするには高度な知的学習を必要とするが、基本的に人はその方面に頭を使うことを極度に苦痛と感じてしまう

からです。

これらを解決にするには、

1・自分に原因はなく
2・なおかつ、程度の低い原因他人説でもなく
3・ステレオタイプ的思考ではあるが
4・本質論としては間違ってはいない

理解を展開することが、有効となります。

以上の因子により、「気づき」の活用は加速されます。

続く。