まずは、病気は気づきのためではない(1)(2)(3)(4)を読んでね。

では、病気は気づきのため、というのは全て間違っているのか。
そうではありません。
自分の問題点を振り返り改善させるには、優れた発奮材料となります。

現在の人類の思考、感情、欲求は、魂または高度な直観ではなく、現実的な防衛本能に支配されています。
意識進化を唱うスピリチュアル界隈の住人にも、同じく適用できます。
僕も含め言葉が立派になっただけで、言動は何一つ変わりないのですから。

この防衛本能の主な役割として、肉体と自尊を損傷から守ることが挙げられます。
人類史における外部の環境は、殺し合いと飢餓だけで構成されていたと言っても過ぎた表現ではありません。
そのため、生存を可能としている環境から抜け出すことは、大きな危機に曝される自殺行為でした。
だから、防衛本能は、なるべくその場所に固定されることを望みます。

ほぼ全ての人が安定性を好み求めるのはそのためであり、常に職種、住居、人間関係が激しく入れ替わることへ大きな精神的負荷を感じるのは、原始的な欲求と相反してしまうからです。(もちろん、他にも因子はある)

だから、可能な限り変わってほしくない。

以上が、変化を嫌う根源的な要因です。(トラウマだけで説明しようとするのは、おバカさん)

安全が確保された状態においては、人にとって遷移を創る理由はどこにも存在しません。

ゆえに、そういった環境に身を置いている限り、変化のキッカケとなる「気づき」を得ることは極めて難しいのです。

続く。