人は、強い苦しみが持続すると「回避」の手掛かりとして、原因を特定しようとします。
正しい把握が行なわれたならば、解決への希望が見出されます。
あるいは、その瞬間に事態はかわらなくとも、多少は心は軽くなります。
しかし、的確に原因を明確にすることは難しい。
多くは、暗闇に紛れてしまいます。
すると、人は強い絶望感を覚え、発生している問題や現状への理不尽さに襲われます。
それによる情緒的痛苦は、苛烈です。
残念ながら、人は弱い。
だから、即効性を持って少しは楽になりたい。
どうすればいいのか。
そこに持ってこいなのが、肯定的な意味付けです。
例えば、
駅のエスカレーターが故障していたら、階段を上らなければならない。
多くの人が、心の中で舌打ちをします。
しかし、彼らの中には高いお金を出して、スポーツジムへ行き、重い物を持ち長距離を走っている人もいます。
それに比べれば、階段上りなど大したことはありません。
にもかかわらず、エスカレーターには文句をいい、ジムには充実感を感じている。
前者には否定的意味付け、後者には肯定的意味付けがなされているからです。
病気は気づきのため、という名文句にも同じ心理構造が働いています。
それが長期化している場合、心から理不尽さを感じている。
原因を掴もうにも、スピリチュアルでは間違いだらけの統合医療が、幅を利かせているので不可能に近い。
だから、何らかの肯定的な意味付けを自分の難苦に与えるしかない。