まずは、病気は気づきのためではない(1)(2)(3)(4)(5)(6)を読んでね。

では、病気は気づきのため、という理解を展開することにどんな問題点があるのでしょうか。

代表的なものとして、

1・程度のいい原因他人説となるために、現実的な自分の知識不足や誤った情報によって引き起こされている自覚がなくなってしまう
2・セラピストやヒーラーの現実的な知識不足や誤った情報によって引き起こされている事象に過ぎないにもかかわらず、あたかも正しい答えを出してしまっているかのような錯覚に陥ってしまう
3・結果として、ヒーラー、セラピスト界の質の向上を望めなくなってしまう
4・健康という「成功の型」から学習する重要性が、薄らいでしまう。
5・第三者から与えれた抗えない試練なので諦めるしかない、という絶望的な心境が生まれ、生活全般にそれが波及し後ろ向きな日常を送ることになる

があげられます。

まず1について。

気づきは基本的に、何者かから与えられるという意味合いが含まれています。
事実、「病気は気づきのため」という理解を支持する人たちの大半は、

病気を通して、

・何かを教えようとしている
・気づかせようとしている
・学ばせようとしている

という、第三者を主語としなければ成り立たない文言を、併用します。

ただ、これには突っ込み所が、2カ所あります。

1A・病気によって気づかせるのは、暴力で教育していくことよりも質がワルイ
2B・現実的な正しい健康法を徹底して勉強してきた、という自負心はあるのか

続く。