現在のスピリチュアルで展開されている理解に、人生を改善させる力はない。
それどころか、悪化させてしまう可能性が高い。
とても近い将来、スピリチュアルの住人のなかでも特に感性の優れた人々は、気づくことになる。

そして、既存のスピリチュアル理解は急速に瓦解し、新しいそれらが台頭する。
ようやく、役に立つ次元へと昇華する。
この「分野」は、未だ黎明すら迎えていない。
(ヨシトラダムス)

まずは、病気は気づきのためではない(1)(2)(3)(4)(5)を読んでね。

健康により「気づき」を得ずらいのは、そのためです。
安全が保証された状態ゆえに、変わる理由など存在しないのですから。

この防衛本能論(?)に従えば、人が変化を獲得しようとする最大の動機は、恐怖またはそれに直結する苦痛となります。

もちろん、いたずらにそれらがあればいい、というわけではない。

・死ぬ確率はとても低いが
・長期的で
・肉体的、精神的な渋難の感覚は、直線的に分かりやすく
・しかし、ある程度は理性を保つことができる程度である

ことが条件となります。

その最たる事象が、病気です。

もう一度、まとめると

・罹患したことへの理不尽さに、心が倒されてそうになっている
・なんらかの生産的な意味付けにより、心を支えたい
・痛苦により、防衛本能が強く変化を求めている

という複合的因子が、病気は気づきのため、という名言(?)を生んだのです。

続く。