まずは「歪曲された懐古主義として(11)、(12)、(13)、(14)、(15)、(16)、(17)、(18)、(19)、(20)」を読んでね。
すると、目的は、はき違えられたものとなります。
次世代の幸福や集団の生き残りのためではなく、自我防衛を達成することが核心となるように。
そのためには、若者は優秀であってはいけません。
指導という自己の存在証明を獲得することができなくなり、「精神の命の危機」に瀕してしまうので。
だから、稚拙な存在であってほしい。
しかし、それは、20代前半までは叶う確立は高いだろうけれど、後半以降は、抜きん出た「人財」も、多く現れるようになります。
しかも、前者に比較すれば、後者年齢のほうが人口の割合は多いので、必然的に、妙妙な彼らに「遭遇」する機会も、増えてしまう。
いよいよ危機は、実際のものとなります。
では、どうやって、この難局を乗り越えればいいのか。
決めつけてしまえばいいのです。
若者は、拙劣であると。
つづく 。