まずは、「病気は気づきのためではない(9)、(10)、(11)」を読んでね。
本質根源以外の主な要因として、人にとって思考することが最も苦痛の作業であることがあげられます。
確かに、人は四六時中思考を巡らせています。
ならば、苦痛ではないのではないか。
そうではありません。
思考は、
・知らなかった自分にとって難しい分野を
・積極的に吸収し
・それを土台とした上で
・狭窄的にならないという条件のもと
・新しい論理構築
をすることを指します。
(他にもあるよ)
僕も含め多くは、
・あれ嫌だな、これ面倒くさいなあといった悩み妄想
・思いつきでその先の展開がない刹那的発想
・感情や思い込みによる決めつけ
に過ぎません。
例えば本。
どんなに内容が秀抜であったとしても、難しいと全く売れません。
その内容を薄めに薄め、短時間で読み終える形に編集すると、飛ぶように売れます。
全般的に、人は思考することが苦手な生き物であることが、理解できます。
しかし、人は答えを出さない限り、心情のざわつきを止めることができない。
それも、やはり苦痛です。
だから、
・考える必要はない
・大枠としては間違っていない
・汎用性が高い
思考の「規則」を、用意しておく必要があります。
ゆえに「気づき」が、多用されるのです。
続く。