まずは、「発達障がいと学習障害(3)」を読んでね。

これだけでも解決したようなものですが、多少の不快さが残っているのならば以下の方法を取ることにより学習は確実なものとなります。

・超スモールステップで行なう

・成功せずとも取り組んだという事実を賞賛する (他にも方法はたくさんあるよ)

「・超スモールステップで行なう」について。

人は、自分にとって不快なことは長時間取り組むことはできません。

にもかかわらず、それをこなすとなると、一度に1時間以上を費やそうとします。

不快さは、時間の進みとともに増加し、仮にその時はやり遂げられたとしても、脳内においてはしっかりと不快学習が刷り込まれてしまっています。

次回からは、取り組めなくなります。

そこで、「たった5分でいい」と提案されれば気が楽になります。

取り組みへの回避は起きません。(普段、部屋の掃除などしないのに、試験勉強の前になると一心不乱に行なうのが典型)

達成は容易です。

その瞬間に何らかの快楽を与えることができれば脳は快学習を起こすので、 次回からは

・楽しい

・あるいは、そんなに嫌ではない

といった認識が形成されます。

・成功せずとも取り組んだという事実を賞賛する

よほどの特殊技能でない限り、方法が大きく間違っていなければ取り組んでいるうちに結果はついていきます。

学習障害を持っている子どもに対しても、同じことが言えるのです。

だから、取り組むことそのものに快楽を学習してもらえばいい。

要は「グッドトライ」です。

試験の結果や勉強の進捗、理解が得られなかったとしても、座って学習しようとした行為をほめたたえる。

それにより子どもは、取り組みへ快楽もしくは不快の軽減を得られているので、学習が継続されるようになります。

当然のこと、結果が出ます。

残念なことに多くの親に、この理解がありません。

それどころか

・大人しく机に向かって勉強することを当たり前の行為とし

・ほめないだけではなく「いつもこうしてやってくれればいいのに」と嫌味を言い

・試験の点数や勉強の習熟が改善されないことを叱責し

・「勉強しなさい」と説教をし

学習という途中過程に対して、ふんだんに不快を与えます。

学習障害でなくとも、こんな接し方では習得が進まないのは明らかです。

不思議なことに、このような「間違った方法」を取っている親ほど、「こんなに一生懸命教えているのに一体何なの。私、疲れた。」と、自分の窮状を訴え被害者の立場を演じます。

悲劇を通り越し、喜劇そのものとなっています。

ストーカーが独善の愛を伝えて嫌われ、「こんなに尽くしているのになぜなんだ。ひどい女だ。」と嘆くのと何ら変わりありません。

続く。