発達障害傾向のある大学生が、親御さんに連れられて相談に来る機会が増えています。
彼らの大半は、素直に話を聞き改善や才能進展の取り組みに勤しんでいます。
残念ながら、1割程度は次のような反応を起こします。
・小学校時代から現在まで、楽々とは言わないがさほど困らなかったのだから、療育を行なう理由がわからない
・まして、成績は良かったのだから
(障害などという情けない存在ではないし、という主張(?)も稀にある)
残念ながら、人として求められる機能が学生時代と社会人においては、全く違うという当たり前のことが想像できていません。(本人の問題もあるが、親御さんや教師にも責任の一端あり)
・多量の同時並行処理
・文字や写真、図の存在しない口頭中心の指示や研修
・一糸乱れぬチームワーク(僕は絶対的に良いとは思わないが)
・自己創造的な優先順位の決定
・マニュアルのない早急な問題解決
・厳しい締め切り
・取引先との空気を読む交渉やクレイム応対
・飛び込み営業
・無から有的な発想の構築
等々。
真性のアスペルガー人はもちろん苦手としますが、隠れもその多くは強く難苦します。
日本では学生時に、体験することはありません。
ゆえに、健在化しなかったにすぎません。
彼らは、社会人1年目に大きな失敗をかぶります。
それは、貴重な体験となりえません。
仕事人としての姿勢を、完膚なきまでに消極化させる挫折体験となります。
(僕の考えに賛同しなかったから不幸な予言の実現希望、あるいは酸っぱい葡萄の類的な話ではない。多数の事実の後追いの話。)
東大生が仕事人として挫折する理由
隠れアスペルガーという才能