まずは、「日本におけるアスペルガー(発達障がい)対策があまりにも遅れている理由(6)マスコミと早い思考として」を読んでね。
人は、人類史が始まって以来、外に出れば殺されるか否かといった危機に常に曝されていました。(直観に反して20世紀後半から現在に至るまでが、最も殺人と戦争は少ない。20世紀って最も平和な時代なんだよ。最低限の人類史も知らないで20世紀は地獄なんて言っている人が大勢いる。勉強してから世の中を憂えよ。)
にもかかわらず、餌を採るなどの生存を可能とする行為のためには、外出せざるを得なかった。
そこで、身を守るために視覚や聴覚から入る情報を直観的に判断することが、有効な方法として採用されました。
目の前にいる他人や動物が、脅威か否かと熟慮していたら確実に殺められてしまうので。
これが数年といった短期間の特異的出来事であるならば、人に癖付けされることはなかったでしょう。
残念ながら、どんなに短くとも1万年以上も続いてしまった。
ゆえに、人の潜在意識や遺伝子(?)へ刻み込まれてしまいました。
その名残として、直観ではなく直観「的」(手作りと手作り「風」は違うよね)を基礎とする「早い思考」を今現在においても好んでしまうのです。
1×3と、3478×2381。
暗算でお願いします。
事前にストレスを数値化できる機械を装着します。
よほど計算好きでない限り、大半の人が「遅い思考」を必要とする後者にストレスを覚えます。
防衛本能が「遅い思考」を選択している宿主に対して、その選択を止めるように信号を送っている、あるいは危機感を感じているのです。
続く。
人類史は殺し合いに過ぎなかった。
人類は、早い思考の虜になっている。