本を出していなかった頃には、自身の著書を一生懸命に宣伝している人を、うるさく思っていたけど同じ状態になっている。

そんな吉濱です。

(若干、極論ね)

隠れアスペルガーの女子は、発達障がいという理解を持っていなくとも、自分は

・周りと違う

・浮いている

・変わっている

ということを、薄々は自覚しています。

その感取のままに、開き直ることができるならば、他人からの発達障がいという発見の機会に恵まれるのかもしれません。

残念ながら、その可能性は極めて低い。

隠れアスペルガーの女子は、

・嫌われる、または評価を下げることへの深裂な恐怖心による、徹底した外部比較における自己観察

・神経症的気質由来による過剰な真面目さと倫理観

・社会的文化的な要請から発せられた、女子の無個性化 (男尊女卑の要素があるから、これはいけないよね)

によって、定型発達者よりも

・個性を埋没させた常識人

を装えるようになります。(もちろん、それでも彼女たちは変わっている箇所は散見されるし、隠れでも症状が強めだと、常識人になることはない)

その「演技」が長期化すると、疲弊しながらも自分の核を成す人格の一部となります。

呼吸のごとく、実行できるようになるのです。

すると、周りの人はもちろんのこと、専門科医でも見過ごしてしまう、という事象が多発するようになります。

原因を究明することは、できません。

しかし、生きづらさや軽い適応障がいは、延々と続いています。

彼女が楽になる道は、遠のいてしまいます。

女子の生きづらさを解明するフレイム(見方)の一つに、隠れアスペルガーを加えてもいい。

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