まずは、「田舎暮らしなど望んではいけない(10)(11)」を読んでね。

(田舎暮らし編について、最初から田舎暮らしをしている人には、何の罪もないしケチをつけるつもりはないからね。)

しかしそれでも、設定の間違いについては何も触れようとも訂正しようともせずに、苦し紛れの反論は続きます。(論理と知性のある反論、議論は大いにけっこう)

数百年以上に渡る伝統建築や自然は、日本の至るところに存在する。

「集約化することで、それらも統廃合の危機に曝される」と。

これも間違いです。

伝統建築や自然を守るためにも、高層化による集約化は欠かせないのです。

新幹線の京都駅から街を眺めるたびに、形容しがたい喪失感に襲われます。

日本の伝統文化の中枢(?)であるにもかかわらず、駅前に無機質なビルが乱立しているのです。

パチンコ屋、チェーン居酒屋、コンビニ、ドラッグストア、ファーストフード、エステサロン、ビジネスホテル。

京都の玄関に、奥ゆかしさを連想させる建造物が、何1つとして存在しないのです。

おまけに、高圧線や電線が遠くまで張り巡らされています。

京都の伝統を期待して初めて降り立った外国人は、失望するはずです。

熱海、神戸も同じです。

前者は、正体の知れないサラ金のビルが建ち、後者は六甲山が見事に削られています。

というよりも、東北から九州までの新幹線駅前の全ては、似たり寄ったりの作りとなっています。

文化は、駆逐されています。

低層階の建物が中心であったがために、つまらない建築物が方々へと散らかってしまったのです。

最初から高層化を行なっておけば、こんな事態にはなりませんでした。(もちろん、昔は高層化の技術は発達していなかった)

類似を許さない伝統建築と自然を守るためにも、高層化を速やかに実行すべきのです。