まずは、田舎暮らしなど望んではいけない(21)を読んでね。
スピリチュアル、ロハスを中心とした田舎暮らしを望む人々の多くは、論理破綻を起こしていることに気づいていません。
彼らの表現の様には、よく言えば素直、ワルく捉えれば分析力に欠けている箇所を、往々にして、発見することができます。(素直って、素から直にというのが本来の意味。高度な直観を表しているんよ。何でも信じますって、ことではない)
ゆえに、全く当たっていないインチキのチャネラーや霊能者の大地震予言を、その都度、信じています。
いずれ東京にも、3.11が再来すると確信(?)しています。
事実、方々へと吹聴しています。(人は知性とは関係なく防衛本能上、恐怖を好む性質を持っているという面も大きい。だから、予知を「当て続けている僕が」大地震は来ないと言っても信じてくれない。「」は自慢ね。)
ではなぜ、「大地震が来る」という前提であるにもかかわらず、災害対策としては極めて無力な田舎暮らしを、推奨するのでしょうか。
大きすぎる矛盾を、内包しています。
田舎暮らしの推奨と大地震発生の確信は、両立しないのです。
- 田舎を賛美するならば、大地震は起こりえない
- 後者が生じると主張するならば、前者は否定せざるを得ない
と、結論づけることで、はじめて整合性が得られます。
論理的構築能力が多少でもあるならば、この思考に至ることは容易いはずです。(純粋で意識進化にうるさいのだから、この位の低次元な僕の悪口は、笑って済ませてくれるよね)
しかし、田舎暮らしを推奨する人々からは、以上の思考展開が発せられることはありません。
おまけに、彼らには
- 防災の決め手である高層化を嫌悪し
- 惨劇が起こることが「確定」している
- 下町などの木造密集地域を
- 日本に残された最後の情緒豊かな光景として
- 賞賛する
向きが強くあります。
かりに、彼らの「想う」ままに、都市や街が形作られていくとする。
災害時において、際限のない犠牲地獄へと陥ることになります。
続く。