結婚とは、男にとって自分の女が他の男に子供を創らせないための束縛的契約であり、女性にとっては、射精に因り生じた妊娠、出産、授乳、子育てといった最大の社会的リスク(勿論、この世で最も尊い行為)の責任と謝罪を安定的、永続的に追求する場である。

恋愛とは、相手がそれらを円滑に達成させることが可能な人物か否かを見極める「試用期間」であり、また「※スパンドレル理論」に因り、愛情や喜び、悲しみ、歯痒さ等の様々な感情が付着しているに過ぎない。

(作家、ポール吉濱)

スパンドレル理論。
本来の機能をある程度は果たせるようになると、全く別の方向へと過剰進化を遂げてしまう現象。

スパンドレルは、橋などを下から支えるアーチ状の構造物を指す。
勿論、それ自体は必須のモノ。

暫くすると、アーチと橋の間に存在する空間へ、天使や人物像などの、機能としては何の意味もなさないデザインが組み込まれて行く。
それは、時間の経過や人間の知性の蓄積と共に複雑高度化され、最終的には「芸術」に昇華する。
人々も、構造物としての機能よりも、美しさへ注目を移すようになる

存在物は、本来の役割を合理的に果たしたならば、適応していくにあたり全く必要のない機能を身に付け、発達させていく。
これが、スパンドレル理論。

例。

1・服

元々の役割としては、暑さ寒さ怪我など外の衝撃から身を守るために生まれた、という理解に異論はないと思う。
しかし、現在のそれらは、機能を飛び越えてファッション性だけが突出してる。
重いだけのスーツ、苦しいだけのネクタイ、足が固まるキツ過ぎるデニム、歩きづらいヒール。
本来の目的だけを考えたならば、ジャージと運動靴で十分。(服をキメると自己イメージや、やる気が上がるといった話しは、今回おいておこう)
しかし、それを着て社会生活を営める時間というのは、極々僅かに限定されてしまう。
逆におかしな目で見られることになる。

2・恋愛

恋愛を超唯物的に捉えれば、種の保存を目的にしている。
生殖能力のない小学1年生の太郎君が、同じ教室の花子ちゃんに恋をした。
太郎君は、花子ちゃんの子どもをほしいと思っているのか。

恋愛ドラマを楽しむ、評論することで、種の保存の目的達成が可能となるのか。

続く。