まずは、「結婚について(9)酷薄な生殖戦略としての一面とスパンドレル理論」を読んでね。

どんなに文明が進化しようと意識変革を遂げようと、人は本能から脱却することはできません。(悟りを超えた悟りの状態にならないと、本能からの離脱は難しい)
ゆえに、愛や魂、神性などの根源よりも、まずは現実的な本能とそれに基づいた感情、思考、欲求、言動が、表出されます。
では、人間にとっての最大の本能とは、具体的になんなのか。

「生き残りたい」です。

人類史は、

・殺し合い
・食料の収奪
・それらの効用を高めるために
・武器と国家を進化させた

という繰り返しにすぎないことを知れば、明確に理解できます。

ゆえに、人類にとって、生存し続けることが最も難儀な表現に位置づけられてしまいました。(「昔は良かった」などと言う人は多い。一体、どこのいつの時代を指しているのか教えてほしい。)
それが、数万年以上に渡りました。
日米のような成熟国を中心に、生きやすくなったのは、ここ数十年のことです
そのため、「生きることは過酷である」という観念や癖は、染み付いてしまいました。
その認識から、生き残りへの深列な無力さが作り上げられるに至ったのです。

すると人は、健全もしくは病的の範囲にかかわらず、他者への依存は避けられなくなります。(依存はワルいものではない。自立も存在しなんいよ。また今度ね。)
種類や関係性を問わず多くの付き合いが、各々の役割を果たすことを目的とするようになるのです。

この視点から捉えると、役割を果たせない相手は、自分の生存を脅かし恐怖を与える存在でしかありません。

(少し話を飛ばして)

恐怖が、愛の対義語と言われるのは、このためです。
前者がなければ、人を無条件に好きになることができます。
前者が強いと、条件付きでしか人と繋がれません。

続く。