まずは、体の感覚に従ってはいけない(19)を読んでね。
体の感覚に従うことを、無条件に良きこととしてしまっているがために、このような事態へと陥ってしまうのです。
防衛本能由来の体の感覚は、短期的局地的にのみ正しい選択ができます。
長期的大局的な判断は、不可能なのです。
文明が高度に発達するまでは、それで良かった。
というよりも、局地的な視点にせざるを得なかったのです、
当時は、何の脈絡もなく突然に今この瞬間、野生動物に狩られるか否か、他人に殺されるかどうか、飢餓をむかえるかといった状況が、常態化していたからです。(こういった事実が存在するにもかかわらず、安易なそれらの問題を解決した資本主義批判をする人が、スピリチュアルやロハスに山のようにいる。不思議だよね。)
しかし、日米のような経済成熟国になると、この瞬刻に死ぬ危険性よりも生き続けるそれのほうが、圧倒的に高まってしまうのです。
そういった世界においては、長期的大局的な判断が必須となります。
江戸時代の平均寿命は、30~35歳でした。(これだけの若死になんだから、認知症やガンが発生しないは当たり前だよね。乳児死亡率の高さもある。)
だから、健康のことなど考えなくて良かったのです。(少し極論ね)
しかし、現代の日本の平均寿命は80歳前後で、しかも、毎日5時間ずつ伸びています。(平均寿命は、乳児死亡も含まれている。だから、60歳を過ぎた人は、あと6歳くらい足す必要がある。)
おまけに、加齢が進むと体は脆くなるので、目先の快楽や楽さに繋がってしまう防衛本能由来の体の感覚に従っていれば、途端に罹患してしまうことは明らかです。
それにもかかわらず、「体の感覚に従う」という文言は、今日も「ストレスに溢れていると勘違いしている」人の心のひだへと、優しく浸透し続けています。
認知症は、増大の一途を辿ります。
続く。