まずは、「病気は気づきのためではない(19)」を読んでね。

にもかかわらず、変わらず人生は途切れることなく続きます。
日常生活を支えるためにすべきことが、山のように立ちはだかっています。
残念ながら、その一つ一つが、意味を成さない「気だるい敗戦処理」の作業に位置づけられてしまうのです。

効率が落ちるだけならばいいのかもしれません。
(本当は良くない。日本の停滞は、生産性の低さが直接要因)

しかし、それだけに留まることはない。

・作業の質の低下
・それによる問題発生率の上昇
・問題解決力の低下
・根幹的な改善方法の作成と実行力の低下

といった、副次的な障害が発生します。

それらを慢性的に抱えていれば、日常生活に降り掛かる問題量は、より増大してしまうのは明らかです。

ただそんな状況に陥ったとしても、「気づきのため」という理解を学習してしまった人にとって、それを「痛み止め」として、持ち込む以外に自分を支えるための対処は存在しません。

そして、その薬の効果が切れたときに、

5・第三者から与えれた抗えない試練なので諦めるしかない、という絶望的な心境が生まれ、生活全般にそれが波及し後ろ向きな日常を送ることになる

が、より強度を強めて、再び自分を侵襲します。
もう一度、薬に手を伸ばさざるを得ません。
負の循環が、形作られます。

「病気は気づきのため」という、本質として正しい(?)認識を手に入れてしまったがために。
もうそろそろ、既存の「気づき」が持つ世界観は、大きく瓦解したほうがいいのです。