まずは、昨日のブログ「世の中を良くしたい、と言っている人たちの大半は、偽善か害悪でしかない(7)」を読んでね。
それを踏まえれば、多力に溢れた、「純粋なる善意と正義」が、発動したときにこそ、
強く健全な範囲での、自己への
1・疑問
2・否定
の感情に基づいた、
3・感性や直観ではない
4・大局的な「冷たい」合理に依拠した
検証の姿勢が、欠かせません。
それが叶わないのならば、社会へ働きかける資格はありません。
共産主義国の大半においては、大虐殺が必定の歴史となっています。
そういった国を司っていた権力者は、「家族のような国を作る」という、「温かく清い心」が前提としてありました。