トリアージという、理解があります。
大規模な災害といった超非常事態においては、被災者の救済に、明確な優先順位をつける。
難しそうな人は直ぐに諦め、重傷だけれども、確実に救えそうな人を積極的に支援する、というものです。(他にも、物資の供給ななどもある)
その方が、結果として、多くの人を救えるからです。
しかし、日本国内において、それを実践すると、必ずと言っていいほどに、批判が巻き起こります。
もちろん、被災当事者やその関係者が、トリアージについて、感情的に納得できないのは、仕方がないことです。
彼らは、憤慨しても構わない。
しかし、不思議なもので、現場で苦しんでいない「外野」が、積極的な否定的啓蒙活動を行います。
・目の前の命を、見捨ててはいけない
・子どもを抱いて、母親が半狂乱で泣いているのに、手を差し伸べない
・救えるかどうかではなく、行動することに意味がある
と。
実に、「情緒としては正しい」発言で、隊員たちを裁きます。
それを続けられると、トリアージの実践が難しくなります。
犠牲者が、不用に拡大します。
しかし、「やみくもに頑張った」のだから、「美しい行為」だと賞賛します。
ときには、情緒は究極的に、冷酷な存在となります。