まずは、「体の感覚に従ってはいけない(4)」を読んでね。
人の思考が、いかに種の保存欲求に支配されているのかがよく分かります。
その思考は、思考から生まれるわけではありません。
それは、感情から発生します。
その感情は、観念から作りだされます。
観念は、意識の核と言えるべき一種の思い込みです。
要は、現実次元においては根源的な存在です。
観念→感情→思考。
例。
・Aの思考が突出されているということは、感情もA。感情がAということは、観念もA。
・世の中には、敵しかいない(観念)→怒りと恐怖(感情)→相手は何もしていなくても、先に攻撃もしくは逃げる作戦の作成(思考)
以上の式が正しいのであれば、思考が種の保存に占められている状態では、観念にもしっかりと根付くように存在しているということになります。
観念の基本的な特徴として
・自発的な自動運転
が、あげられます。
要は、人の顕在的な意識を必要とせずに、勝手に動いてくれる機能を持っている、ということです。
当然の話です。
それが止まってしまうと、人の感情、思考は停止してしまうのですから。
この働きや存在の立ち位置は、本能の特徴と一致しています。
それも、人間を人間たらしめるために、根源的な側面から常に影響を及ぼし続けている。
生理、安全、帰巣、承認。
だから、観念と本能はある種、同じ存在と言っていい。
もしくは、前者の一部分だけを取り出した状態を、本能と言っているのです。
先述の通り、観念の一部に確固として存在している種の保存を達成するための現実次元における方法は、愛や包み込みではなく防衛することが前提となります。
続く。