まずは、「田舎暮らしを望んではいけない(15)」を読んでね。
しかし、ロハス、スピリチュアルの多くは、この論に耳を貸しません。(僕が必ず正しいというわけではないけど)
変わらず、具体的対案のない、しかし、情緒に溢れる訴えを続けます。
- 美しい田園風景を
- 心温かい田舎を(田舎の方が、過酷な人間関係が待ってるんよ)
- 自然との一体化を
地方において商店街を営んでいるのは、ご高齢の夫婦が大半を占めています。
さすがに、経営再建、転職は難しい。(本当は、難しくない。十分に可能)
年金も微々たるもので、生活を支えるには至りません。
自決するわけにもいかないので、余生を絶望の中で過ごすしかない。(場合によっては、自決もあり得る。不況時には、それが増える)
最近では、本、雑誌、テレビ、ネットなどでそんな貧困老夫婦の特集が組まれているそうです。
それを見聞きした、自由と利便性を使い倒しながらも社会主義的な指向を持つスピリチュアルやロハスの住人は、以下のように捉えます。(社会主義って自由はないの。ロハスもスピリチュアルもやれないのよ。)
- 大手スーパーやモールなどの大資本、さらには論理が飛躍し、資本主義とグローバリゼーションは、存在してはならない
- 人は田舎へと帰巣し、のんびりと暮らしたほうがいい
- 心と体、自然との調和を実現すべきだ
と。
原因と結果を、はき違えています。
しかし、「善意が前提」なので、その先の検証は、期待できません。
情緒により、正しさが、構築されているのです。
困ったことに、彼らの発する言葉は、心への響きに優れています。
ゆえに、伝播力を有しています。
賛同する人が、増えるのです。
機能の集約化に、大幅な遅れが発生します。
商店街の店主たちは、いよいよ追い詰められてしいます。
この「知性なき善意」こそが、苦しみの最大要因となります。