古今東西の代替医療には、治病哲学が付き物です。

残念ながらその哲学の多くは「治癒という結果を出せないが故に発展してきた分野」という面があるということを忘れてはいけません。
(もちろん、大自然や人体の根源的な構造を説明しているものも多くある)

簡単に治る風邪を「病気は気づきのため」などとは言いませんね。
要は、言い訳に過ぎないないのです。
(病気や死を敗北と言うつもりはない)

しかし、学問として深く面白い。
納得させられるところもおおいにある。
そのため、勉強熱心な医者は「その感動という感情」を「治病が可能な素晴らしい療法とすり替えを起こして」しまいます。

僕は、統合医療も治病哲学も否定しません。
(僕も大好きだし)

でも、それらに取り組む上で

・治病哲学の完成度と治癒能力は全く一致しないこと
・自分は哲学と療法のどちらに琴線が触れているのか見極めること

この2点に気をつける必要があります。

美しい哲学の落とし穴を指摘しておきます。