まずは、昨日の「世の中を良くしたい、と言っている人たちの大半は、偽善か害悪でしかない(5)」を読んでね。

僕の知り合いの自称「世の中を良くしたい、と言っている人たち」の何人かが、決まって口にすることがあります。

・他人の苦しみが、この活動の原動力になる
・社会の不幸が、使命へのやる気を掻き立てる

と。

「他人の不幸は密の味」よりは、マシなのかもしれません。

ただ、昨日のブログ(5)の3「・荒んだ世の中に立ち向かうことで、自己の存在証明を成し、自尊心を保とうとする」を、的確に表しています。

活力に欠けた生活を送るのは、しんどいことです。

ウツあるいは、それに近い状態になる、ということなので。

なるべくなら、生気に満ちた日常を送りたい。

燃料がほしい。

だから、「自分には降り掛からない形」で、不幸が必要となってくる。

そのためには、現状が過去よりも大幅に改善されていると、困ります。

悪化していないと、精神的に立ち行かなくなるため。

だから、強過ぎる偏りで、世の中を捉えます。

「退廃していてほしい」と。

それに見合う現象だけを、抽出します。

これが、「社会悪化論」の正体です

世の中云々と騒ぐ前に、自分の心理構造を確認しなければなりません。