まずは、「アスペルガー人を何も知らない役立たずのヒーラー、カウンセラーたちへ(37)」を読んでね。

以上を踏まえれば、やる気が低いことは人にとってごくごく自然な状態であると言えます。

では、飢餓の心配が消えた先進国の人々は、やる気の低減を解消できるのかというとそうではありません。

それどころか、拍車がかかってしまうのです。

人の行動原理を単純化すると、

・ 恐怖を回避するため

・ 快楽を獲得するため

の2つに集約されます。

人は、(生物全て)種の保存という目的達成を命題として抱えているので、それを阻むキッカケを排除するために恐怖という信号を、発達させてきました。

そのため、原動力としては圧倒的に快楽よりも恐怖のほうが強いのです。

例(1)。

腹八分目のほうが爽快になれるから一緒にどうかな、と言われても大半の人は気乗りしません。

そんな彼らであったとしても、「このままでは糖尿病の二次障害で足を切断することになります。」と言われれば、食べ過ぎはやめられます。(依存症に罹っていなければ)

例(2)

日常においてほぼ全ての人は、あまり面白さを感じていない仕事に最も時間を割いています。(それがいけないという分けではない)

ワクワクという快楽が、別のところにあると分かっていたとしても。

恐怖の方が、圧倒的な影響力を与えているからです。

悲しいことに、これらだけではなく細部に渡り、この法則は通用してしまいます。

「現実次元」の人は、楽しさやワクワクといった「快楽」で動くことは、きわめて難しいのです。

ゆえに、日本やアメリカといった「成熟」国はやる気を失いやすい状態にあるのです。

良いか否かは別として、日本人は、戦後の焼け野原の時代のほうがたくさん働きました。

飢餓という恐怖に直面していたからです。

国内でニートが増えているのも、若者を締出す労働市場の仕組みや発達障がいの激増を抜きにすれば、働かなくても食べられるからです。

先進国ではないけれど、南洋諸島に代表される南の島に暮らしている人たちの多くは、働く気力はないに等しい。

暑いからではありません。

果物と魚が取り放題、外でも凍えることはない。

人にとっての根源的な恐怖が存在しないからです。

続く。