人は、人類史が始まってから数十年前に至るまで、殺し合いしかしてきませんでした。(今もだけど。調和の取れた高度文明があったか否かという議論はさておき)
世界史は、「ユーラシア大陸の殺し合いという名のバカ騒ぎ」。
これだけで、説明がついてしまいます。

行動こそが、唯一の本音なので、その史実に照らし合わせれば、人は殺し合いを望んでいる、といってもいい。
たしかに超根源においては、人は神であり一繋がりを望んでいます。
しかし、「浅い現実的な本質」においては、人を人たらしめる核となっている。

悟りを開いた人間以外の全員に適応される法則(?)です。
多くの人は反発するでしょうが、自覚がないだけにすぎません。

現実でもテレビゲームでもいい。
格闘技のルールを変更し、一切の攻撃を禁止し、ひたすらにハグしあう、という形にする。
だれも、興味を示さなくなります。
殺すことを、好んでいるのです。

格闘技だけではなく、球技、スポーツ全般も
・ 石つぶてによる殺し合い
・ 人間と動物の狩猟

を知性によって洗練させたものです。(スポーツ実践、愛好者を野蛮といっているのではなく)
世界規模で、盛り上がります。

恋人、夫婦間においても、この残虐性は存在します。
もちろん、実際の暴力や殺傷に発展することは、極めて少ない。
しかし、「頻繁な喧嘩」、という事象で再現されます。

この残虐性の名残から生まれる、揉めやすさ、を認識しない限り、事前対策を構築することができません。
喧嘩してから修復することは、難しい。
結果として、困苦な結婚生活を送らざるを得なくなります。

自分たちは愛し合っているから大丈夫、と無策を振りまくのは、お花畑の発想でしかありません。
破綻率は、跳ね上がります。