まずは、病気は気づきのためではない(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)を読んでね。

5・第三者から与えれた抗えない試練なので諦めるしかない、という絶望的な心境が生まれ、生活全般にそれが波及し後ろ向きな日常を送ることになる

について。

繰り返しですが、「病気は気づきのため」という理解には、高次の存在から与えられた「伝言」という意味合いが含まれています。
そのため、病気という問題は自己完結的な出来事ではなくなってしまいます。

問題には2つの種類があります。

1・自己完結的に発生しているもの
2・第三者が絡んで起こっているもの
(全ては自分の意識が作り出しているという本質論はここでは採用しない)

解決の難易度で捉えれば、前者の方が圧倒的に容易い。
それどころか後者は、場合によっては不可能に近いこともあります。

成人した女性が、自宅の掃除片付けを癖付けして、キレイに保てるようになるのはとても簡単です。
(強いADHDには、極めて難しいけれど)
そんな彼女でも、子どもが生まれ母親になると、整った部屋を維持することは極めて難儀となります。
子どもという、操作(?)に苦労する第三者が、常に散らかしてくれるからです。

負担が増えるだけであるならば、問題はありません。
残念ながら実際には、それだけにとどまらない。
しばらくすると、彼女は重いウツを患うようになります。

続く。