まずは「体の感覚に従ってはいけない(15)」を読んでね。

記憶こそが、人の最大の特徴もしくは仕事として唯一残されるであろう領域となる創造力の柱となることは、明確になりました。

しかし、体の感覚を作り出す防衛本能に従っていては、その能力の発露が成り立たなくなってしまうのです。

揚げ句の果ては、知識量が少ない、記憶ができないことから生まれる劣等感を抑え込むために取った「自我防衛」に過ぎないという心理構造に気づかず、大量に知識を保有する人を「頭でっかち」と批判するようになってしまいます。

批判する側の人が、日常において使い倒している科学技術は、知識集約による創造力の象徴です。
活用しながら文句を垂れるのは、「権利は主張しながらも義務を果たさない子ども」でしかありません。

防衛本能由来の体の感覚に従っていると、「知識軽視人」という「創造力を放棄した人種」の誕生が加速してしまいます。
しかし、人工知能へ全て(?)が収斂されていく世界は、変わらず進んでいきます。
彼らは、知識を蔑視したがために、行き場を失ってしまいます。
さらには、今後の人にとっての唯一の存在理由が、剥奪されてしまいます。
生きることが、根源から揺さぶられます。

何の考えもなしに、空気のような耳触りの良さだけで、「体の感覚に従う」という理解を受け入れてしまったがためです。
それを積極的に主張している人も大半が、上記の危険性を認識していない。

僕には、体の感覚に従うことにどんな優れた点があるのか、皆目検討がつきません。

続く。