まずは、「体の感覚に従ってはいけない(3)」を読んでね。

残るは、防衛本能です。

なぜそれが、直観や筋反応以外の体の感覚を支える中心として捉えられるのか。

とても単純です。

人間は、「超唯物的」に認識すれば「種の保存だけを目的にしている存在」と、言えるからです。

たしかに現代においては、それとは直接的に関係のない仕事、文化、芸術が溢れかえっています。(とてもいいこと)
しかしそれは、種の保存という目的を安定的に達し、かつ近い将来も確実に手に入れられる、という条件が揃った環境でのみ起こる「特殊な現象」です。
いつの時代も不況になった途端に、それらは打ち切られます。
種の保存が、最優先させられるからです。

では、生存を脅かされない豊かな状態においては、その目的やそれを達成するための機能が忘れ去られてしまうのかというと、決してそうではありません。
人の思考の9割は不満と悩みで占められている、という方々の心理学や認知機能科学の検証結果が、種の保存欲求は脈々と働き続けていることを指摘しています。

(こんなことを言うと、スピ系の人は私は満たされているから当てはまらないと反論するけど、いい加減、意識の高い自分を演じていることに気づいたほうがいいよね)

種の保存を達成するためには、当然のこと生き残らなければならない。
生き残るにはその驚異となる存在を、まだ芽が幼い段階で排除する必要がある。(本質的な包み込みや感謝肯定は置いておく。あくまでもそれからズレた現実の話)
だから、早々に発見できるに越したことはない。
そのため、驚異に繋がる否定的因子へ優先的に意識が向くようになっている。

結果として、不満や悩みが氾濫するさんざんたる思考内容を作り上げてしまうのです。

事実、自他共に、長所よりも短所を見つけることの方がはるかに簡単です。
種の保存欲求が、強く働いているためです。

続く。