最近の若者編を読んでもらえば、年齢や体験と、成長は比例しないことが理解できます。

あくまでも、非線形の関係です。

成熟した人間であれば、この程度の認識は直観的に備えています。(僕のように、稚拙な人間でも知っていることもある)

言い換えれば、年月と活動量を振りかざすか否かが、その年寄り(どうしようもない団塊ね)の発達度合いを図る指針になるということです。

事実、「歪曲された懐古主義として(38)」に書いたような人間ほど、それらを顕示します。