まずは「歪曲された懐古主義として(1)(2)(3)(4)(5)」を読んでね。

人は防衛本能上、常に不快を見出し、危険を回避しようとします。

冷房が効いた部屋へ入った瞬間は、心地よさを覚えます。
しかし、その感応性は持続しません。
部屋の汚さに、不満を向けます。

ネット通販の普及のおかげで、時間を大幅に節約できるようになりました。
しかし、活用回数を重ねることで、その利便性への自覚は薄れます。
通信速度が、ほんの少し下がっただけで、イライラします。

人がわがままで、満足や感謝を獲得できないのは、そのためです。(他にもあるよ)

逆に言ってしまえば、不快(危険)を特定しては、排除することに励んでいたほうが、精神衛生は保たれるのです。

「最近の若者批判」も、以上と同じ心的な仕組みから生まれています。

それに基づく限り、自分の存在が情けなくなるほどに、若者が高尚になったとしても、苦言が止むことはないでしょう。

しかし、大人たちからは、このカラクリへの指摘、改善策が聞こえてきません。

エスカレーターの注意アナウンスの如くに、繰り返されます。

結局のところ、人間の根源を理解できていないということです。

そんな無知無理解の存在が、若者へ人生を説きます。

害悪でしかありません。(特に団塊の世代。)