まずは「終身雇用を破壊せよ(40)」を読んでね。

日本における、発達障がいへの理解や取り組みは、極めて遅れています。

それゆえに、アスペルガー人の多くは、学生時代に自分がその当事者であることは、自覚できません。(強い症状を露呈している場合は、周囲が気づく)

社会に出てからの数年後に、ようやく気づくのです。

アスペルガー人にとって、学生生活の際も、大きな精神的負荷はかかっています。

しかし、その時代においては、アスペルガー人が苦手とすることの多い

緻密な

・コミュニケーション

・雑務

・集団行動

・政治的な調整能力

は、さほど求められません。

試験さえ通っていれば、とりあえず退学はしないで済みます。

事実、アスペルガー人の多くは、視覚記憶に長けているがために、その気になれば、そこそこの点数を獲得することができます。(ただし、口頭における言語への記憶と理解は、極めて弱いがゆえに、それ中心の授業形態であると、成績は地を這うことになります。)

そんなアスペルガー人も、社会へ出たその瞬間に、

・人間関係の形成

・通常業務の遂行

といった面で、深刻な不全を起こし、圧死するようなストレスに苦しめられることになります。

最初の数年は、「慣れの問題」であろうと、決めつけます。

しかし、いつまで経っても、改善されません。

もちろん、定型発達の同僚も、会社において同じ悩みを抱えることもあります。

ただ、その度合いが明らかに違う。

彼らは最低限の努力で、成功はしないものの、「無難」にこなしている。

自分は、歯を食いしばる思いで取り組んでいるにもかかわらず、結果がでない。

おまけに、属する集団に馴染めず、周囲から「浮いた存在」であることを、宣告(?)されます。

いよいよ、自分の正体を明確に捉えなければならない状況に、追い込まれます。

続く。